チョコレートショップは、福岡市博多区綱場町にある、
博多で愛され続けるチョコレート専門店です。
「九州一お客が集まる洋菓子店」の歴史と成長の秘密を
2代目佐野隆社長に伺います。
チョコレートショップを始めたきっかけは?
「両親がチョコレート屋をやっていたから」
1942年が創業。
実際は昭和17年以降。
戦争に入る前だったので、「敵国言葉」としてチョコレートショップという名前が出せなかった。
洋菓子もない時代にチョコレート屋。ずっと売れない店だった。
だから晩御飯はいつも、売れ残ったチョコレートが出てきた。
子どものころから、うちのおやじは「売れないチョコレート屋なんだ」という意識がずっとあった。
母や姉は家の仕事が終わってからパートに出て自分の学校のお金の工面をしてくれていた。
稼業だけでは生計が成り立たなかった。
このままだと大学を卒業したら、この貧乏なチョコレート屋を継がなきゃいけないと思って家出した。
大学2年の時。
東京に行きたかったが、お金がなかった。
まだアルバイト情報誌もない時代だったので、出来ることをアルバイトにしないといけなかった。
必然的にケーキ屋、チョコレート屋を選んでいた。
ずっと家を手伝ってきたので、中学の頃にはチョコレートを作っていた。
神戸の洋菓子店「ドンク」でアルバイトをしたが、始めは嫌々だった。
でも神戸のパティシエのかっこうは皆、いまのコック帽に白いコックコート、かっこよかった。
親父はステテコに前掛けだった。
「だけん売れんったい(うちの店は)」
向こうで彼女が出来た時、「トリュフが食べたい」と言われ、
バイト先で材料を貸してもらって作った。
当時まだトリュフは珍しく、「なんでお前作れるとか?」とびっくりされた。
「おまえ名前は?」「佐野です」
「出身は?「福岡ですああ、あの!?」
父は業界では有名だった。
「20歳くらいの頃で、カッコいいパティシエさんたちから、
教えてくれとか、勉強させてくれ、とか言われるんで、豚もおだてりゃで木に登っちゃいました」
社長は笑って言う。
そのままパティシエの道に入っていった。
そして25歳の時、福岡に戻ってきた。
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株式会社カウテレビジョン
カウテレビジョンは2004年企業専門の映像制作会社として創業。インターネットTV局という客観的なメディアをもち、企業の主観による情報発信ではなく”客観的な情報発信”をお手伝いすることを主眼に、報道ドキュメンタリーの形式による取材を心がけています。
◎インタビュアー:高橋康徳
元テレビ西日本(フジテレビ系)報道記者。911テロ取材をきっかけに独立を決意。
ニュース・ドキュメント番組の制作実績4500本。世界で活躍する日本人経営者をインタビューし、インターネットテレビ局で配信中。